山は、自分の輪郭が残る場所だった

最初から、
山に行きたかったわけじゃない。

音楽があって、
フェスがあって、
キャンプがあった。

その延長線上に、
いつの間にか
山があった。


フェスやキャンプの延長に、山はあった

フェスやキャンプを続けているうちに、
道具は自然と揃っていった。

雨具や防寒着。
背負えるザック。
長く歩くこと。

簡単な山なら、
もう行ける状態だった。

特別に
「登山を始めた」という感覚は、
あまりなかった。


きっかけは、屋久島だった

屋久島の白谷雲水峡を歩いたとき、
それまで見たことのない景色に出会った。

時間の流れが違っていて、
足を運ぶほどに、
景色が変わっていく。

「まだ、知らない場所がある」

そう思ったのは、
あのときが初めてだった。


写真で見た景色に、行きたくなった

その後、
登山雑誌で見た
涸沢カールのキャンプ場の写真が、
頭から離れなくなった。

山の中にあるテント場。
自分の足でしか行けない場所。

「ここに行きたい」

それが、
はっきりと
登山を意識した最初の瞬間だった。


六甲山で、体力を作っていた

当時住んでいた神戸では、
六甲山に通っていた。

特別な山じゃない。
でも大好きな街 神戸を一望できる
身近で大好きな山。

ただ、
歩いて、登って、下りる。

地味な時間を、
何度も繰り返していた。


音楽と、山の記憶

その頃も、
音楽はずっと一緒だった。

イヤホンで音楽を聴きながら、
黙々と登る。

今でも、
当時よく聴いていた曲を流すと、
その山道を思い出す。

音楽は、
場所の記憶と
身体の感覚を、
一緒に残してくれる。


音が消えて、輪郭が残る

山に入ると、
少しずつ
音が消えていく。

街の音。
人の声。

残るのは、
足音と呼吸。

音楽が止まったあとに、
自分の輪郭だけが
はっきりしてくる。


山は、続いていく場所だった

フェスは終わる。
キャンプは片づける。

でも、
山はそこに残る。

どれも同じ景気は2度見ることはできない。

また行けるし、
行かなくても、消えない。

体験が
身体に残る場所。

山は、
そういう存在になった。