AIR JAM 2011 横浜スタジアムの入場ゲート

人生が変わった瞬間が、そこにはあった

AIR JAMは、
ただの音楽フェスではない。

AIR JAM 横浜スタジアムのスケートランプと観客

AIR JAM'98が行われたあの日、
ステージの前で音を浴びた瞬間、
Cocobatの演奏開始直後に、自分の周りでモッシュピットが自然発生した瞬間、
自分の中の何かが確かに切り替わった。

音楽が、
「好きなもの」から
「生き方」へ変わった瞬間だった。

Hi-STANDARDという存在

日本のパンクロックを語るとき、
Hi-STANDARDの存在を避けて通ることはできない。

速く、シンプルで、誠実。
英語詞でありながら、
その精神は思春期の自分には衝撃だった。

彼らが鳴らしていたのは、
反抗ではなく、自立
怒りではなく、覚悟。だっとように思う。

活動休止、そして復活

AIR JAM 2018 ZOZOマリンスタジアムの会場ゲート

Hi-STANDARDが2000年のAIR JAMから活動を休止したとき、
一つの時代が終わったと感じた人は多かったはずだ。

それでも、
音楽が消えることはなかった。

時間を経て、横浜で開催されたAIR JAMで再び鳴らされた「STAY GOLD」は、
集まった人たちの感情を空高く放つように疾走していた。

AIR JAMは、
「終わらなかった物語」を
証明し続けている。

日本のパンクロックカルチャーの源流として

AIR JAM 横浜スタジアムを埋め尽くす観客

AIR JAMは、

日本のライブハウス文化、
スケート文化、
DIY精神、
仲間と場をつくるという思想。

それらが、
フェスという形で可視化された場所だ。

フジロックと同じ時期に始まった、フェスの先駆け

フジロックが
「自然の中へ音楽を連れ出したフェス」だとしたら、

AIR JAMは
「カルチャーを外へ解き放ったフェス」だったように思う。

同じ時代に生まれ、
まったく違う場所を目指しながら、
どちらも今なお語られている。

それ自体が、
AIR JAMの特異性を物語っている。
フジロックは97年が、サマーソニックが2000年が初年度、AIR JAMは96年からスタートしている。

たくさんの人の想いがあふれるフェスであること

AIR JAMのロゴが入った海苔弁

AIR JAMは、
パンクロックカルチャーが体現されただけではない。
様々の人の想いが痛みが幸せが
文化として体現された場所だと思う。

だからこそ、
行った人の中にだけ
確かな記憶として残る。

写真が少なくてもいい。
説明が足りなくてもいい。

あの日の音と熱は、
きっとそれぞれの人生の中にある。

AIR JAMが育てた音は、今も鳴っている。
90年代パンクの衝動と、Hi-STANDARDという存在を軸にした
プレイリストを作った。
AIR JAM – 90s Punk DNA